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新生的少年

2016年頃より『VITA NOVA』という名の一連の絵を描いています。きっかけは何かの拍子に終戦直後に創刊された『新生』という雑誌の表紙を見かけた事だったと思います。雑誌名のロゴの下におそらく(新しい生活)の直訳と思われるラテン語の『VITA NOVA』の8文字が並んでいました。

その古びて擦れた印刷の表情と当時のモダンを目指したであろう直線的な書体の絡み合いこそ私が常々目指していた絵画そのものに思えました。しかしそれは、常に何を描いていいやら解らずに不安に苛まれ、何かにすがりたいと思っていた私の願望がそう思わせただけなのかもしれません。

数十年前の漫画雑誌や玩具、街で見かけた朽ち果てたネオンサイン、立体看板のレトロな文字、時間の経過とともに変化してきたであろう事を感じさせるオブジェの表面など、私の創造への欲望を刺激するモチーフをキャンバスに写し取り、描いては消し、描いては消しを繰り返すうちに何時しかその形は変容し、もはや元の情報も表情もとどめていない色と形になった時、私は自分が何か新しい物を造り出したような気になっているのです。実際はただの劣化コピーかもしれないという不安も常にもちながら。

これらのモチーフ選びの基準を無理矢理言葉にするならば「幼少期の憧れ」になりましょうか。幼少期に大好きで憧れていた太古の恐竜やテレビのヒーロー、荒唐無稽な怪獣たち、冒険の舞台となる荒れ地に轟く雷鳴、異国の生活、SF映画、漫画やアニメーション。幼少期の自分にとって、ただただキラキラと輝いて見えていたそのような代物が、十代後半頃から急に妙に恥ずかしく感じだし、きまりも悪く、「自身の内のどこに置いておけばいいものやら」と苦心するようになったと記憶しています。大人に近づくにつれ、いつまでも恐竜博士では居られなかったと言ってしまえば其れ迄なのですが、そのきまりの悪さ、照れや恥ずかしさとは何だったのか?30代も半ばを過ぎ、どうもこの頃そんな事が気になっています。

意識的ではないにしろ、その様に一度手放そうとしたものの、捨てきれずに隠され屈折した憧れの様な感情を持て余しながらモチーフ選びをしているのだと思います。

それは、今、私(のような者)がこの極東の片隅で大層に美術や芸術などと宣いながら絵を描くという可笑しさ(悲しさ)は何なのか?という問いとも妙に関係しているような気もするのですが、それが直接的にどのように私の絵に影響しているのかは判断しかねる所でもあります。

2020.1.18

MOPPEN POPPIN' TIME
モッペンポッピンタイム


『もっぺん』:関西弁でもう一度、ふたたびの意。
『moppen』:オランダ語で冗談の意。
『ぽっぴん』:近世のガラス製玩具。首の細いフラスコのような形態で底が薄く、長い管状の部分に息を出し入れすると気圧差とガラスの弾力により底が「ポッピン」という音を発する。ガラス製の為、ポルトガル語でガラスを意味する vidro=ビードロとも呼ばれる。
『poppin'』:popの現在分詞。ポンと鳴る。弾ける。

振り返って。

①この2年と少し『VITA NOVA』という名の一連の絵を描いていた。きっかけは終戦直後に創刊された『新生』という雑誌の表紙を何かの拍子に見かけた事。雑誌名のロゴの下におそらく(新しい生活)の直訳と思われるラテン語の『VITA NOVA』の8文字が並んでいた。

②ちょうどその頃とある個展のプランとして、明治維新の盛りに欧米に追い付け追い越せと文明開化に明け暮れた当時の日本の象徴としての『スキヤキ(牛肉食)』と、戦後高度成長期に向かって邁進する日本の象徴としての『上を向いて歩こう(日本の歌謡曲として唯一ビルボードシングルチャートの1位になった歌、アメリカでのタイトルはSUKIYAKI)』を重ね合わせ、世界への複雑な憧憬=コンプレックスという視点で何か作品化できないかと思案し資料集めに明け暮れていた。
結果としては、このコンセプトはほとんど誰にも伝わらなかったのだが、その頃から物事を見つめる視点(時間的、空間的位置)について意識するようになった。

③さて、『VITA NOVA』シリーズと並行して、この2年ほど版画工房づくりを活動の中心に据えていた。きっかけは、ひょんな事からスタジオを引っ越した事だ。原因はネズミである。ネズミといえば世界的に人気のあの米国産のキャラクターもネズミがモチーフなんだとか。
そういえば、あのネズミも僕に複雑な憧憬の念を抱かせる。
いよいよシルクスクリーンを一通り行える程度の工房が完成に近づいたので、そろそろ本腰をいれて作品でも作ろうと思い立ったのが3日程前のことだが、いざ絵を描くとなると筆がすすまない。しかたがないので、過去に絵具で描いたタブローの写真なんかを弄繰り回してどうにかこうにか格好がついたような次第。
ただ、シルクスクリーンで同じ絵を何枚も刷っていると、紙の前で筆も進まずじっと悩んでいた自分がどこかにいってしまったような気になる。質より量とはよく言ったもの。

タイトルのMOPPEN POPPIN' TIMEだが深読みすればいくらでもこじ付けられるだろう。ロゴデザインを見ればなおさらのこと。

大変ながらくお待たせいたしました。
ポッピンタイムを、もう一度。

しまだそう 2019年3月

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